2009年10月31日土曜日

サン=フルトゥオソからカモグリまで(イタリア編)

サン=フルトゥオソ(San Fruttuoso) はイタリアのジェノアの西方約15キロにある小さな入り江である。先日、ここから近くの観光地のカモグリ(Camogli) まで歩いてみた。サン=フルトゥオソへは車道が走っていないので、私たちは車をカモグリに残し、遊覧船で入り江に渡った。ガイドブックによれば片道2時間半のハイキングとなっていたが、実際は昼食時間も含めて4時間ほどかかった。

サン=フルトゥオソは陸地に鋭く切り込んだ、狭い入り江で、その奥にはここの唯一の観光名所である聖フルトゥオソ寺院(Abbazia di San Fruttuoso) が立っている。この寺院は千年以上の歴史があり、ジェノアの名家のドリア家とも関係があったようだ。寺院の他はレストランと民家がそれぞれ一軒あるだけで、どこか世界の果てに来たような不思議な雰囲気がある。この寺院をしばらく見学した後、私たちは船着き場の裏手を通り、入り江の斜面を登り始めた。トレイルの全行程にはマーカー(二個の赤丸)が頻繁に施されていて迷う心配はまったくなかった。
聖フルトゥオソ寺院

前日までの移動の疲れからか、最初の登りはかなりきつく感じられた。サン=フルトゥオソの入り江から一気に数百メートル上り、山頂に着くと、今度は急な下りとなる。手の指のように海に突き出た山の尾根をアップダウンを繰り返しながら横断して行く。
デザートの収穫
薄暗い雑木林の中を行ったり、眺望の開けた崖沿いを行ったりと変化に富んでいる。低く垂れ込めた灰色の雲の間隙を抜けて、太陽がスポットライトのように沖の海を照らしていた。船影は数えるほどしかなく、夏の観光シーズンが終わった海は静かな休息をとっているように思えた。この半島一帯に山羊が放牧されているらしく、崖の端や海辺の岩場で草や木の葉を歯んでいる姿を幾度も見かけた。木いちごの一種だろうか、ライチによく似た赤い果実がトレイルを彩っていた。昼食の後のデザート代わりに木からもぎ取って食べたが、甘くておいしかった。行程の半分を過ぎた辺りから、鎖の張られた岩場を渡ることが多くなった。これはかなり危険である。岩場の下はほぼ垂直に切り立った崖である。海側には防護用の杭もフェンスも何もないので、もしも足元を滑らせ、鎖から手を放したら、海まで200メートルの自由落下である。ガイドブックは余り詳しい情報を載せていないが、しっかりとしたハイキングシューズは安全面から必須である。私たちは途中で、スニーカーを履いた子供連れのハイカーと出会ったが、これは少し無謀だと思った。このルートを管理しているのはどの機関か知らないが、これがフランスだったら、注意事項を詳しく掲載した案内板がそこここに立っていることだろう。
戦時中に建てられたトーチカを過ぎた辺りから、道は平坦になった。しばらく行くと、サン=ロコ(San Rocco) という小さな集落に入った。木々の間から目的地のカモグリの町も見えてきた。ここからは舗装道路を歩いた。左右に人家を見たり、家庭菜園を覗いたりしながら進んだ。雰囲気は日本の何処かの山村に似ている。30分ほどで駐車場に着いた。
天候が悪かったこともあるが、景色はそれほど美しいとは思わなかった。フランス側の海沿いの地形に似ていなくもない。余り知られていないルートのためか、得られる情報が少なかった。しかし、初めてのイタリアでのハイキングでもあり、興味深かった。機会があれば、ポルトフィーノ(Portofino)、そしてその先のチンクエ=テーレ(Cinque Terre)も歩いてみたい。

2009年8月29日土曜日

ヴェルドン渓谷:釣り人の道

先日、ヴァール県とアルプ=ド=オート=プロヴァンス県の県境に位置するヴェルドン渓谷(Gorges du Verdon) に行ってきた。ヴェルドン渓谷のハイクはこれが二度目で、前回はマルテル道(Sentier Martel) を歩いたので、今回は釣り人の道(Sentier du Pêcheur) を試してみることにした。このルート(地図の黄色の道)は県道脇の駐車場から始まり、渓谷の右岸を周回する、所要時間約3時間の短いもので、標高差は200メートル程度ある。初級者向けの難易度の低いトレイルなので、この日は家族連れのハイカーをよく見かけた。私たちは周回ルートを時計回りに歩いた。
駐車場からは川岸を目指してひたすら坂を下る。本道を示す黄色のマーカーはやや見つけづらい。しばらく行くと松や樫の木の森に入る。時折、木立の間から谷底のヴェルドン川を望みながら進む。1時間ほどで広大な河川敷に到着した。ここは休憩にちょうどよく、水浴びにも適している。しかし、この場所はサント=クロワ湖から貸しボートに乗って上ってくる観光客の溜り場にもなっているようで、私たちが休憩を終えて再び歩き始めた頃にはかなり騒がしくなっていた。ヴェルドン渓谷はフランス国内外によく知られた観光名所なので観光客やハイカーが多い。日本でもそうだが、混雑や喧噪を避けるためにも早朝に出発することが望ましい。
河川敷を後にして、私たちは川に沿ってしばらく歩いた。数カ所で岩場を乗り越えなければならないが、概して平坦な道が続いた。日本でよく見るツゲの木が多く茂っていた。やや上り坂になり、さらに奥に進むとサン=モラン滝に到着した。この近辺はガイドブックには載っていないトレイルが多く錯綜していて迷いやすい。滝は落差が4メートル位で小規模だが、鬱蒼と茂った木々と巨岩に囲まれて野性的な感じがした。ここで昼食でも食べてゆっくりしたいところなのだが、他のハイカーが頻繁に立ち寄るので、しばらく休んだ後でまた斜面を登り始めた。
渓谷をさらに半分ほど上がると、草野球ができそうなくらいに広く、平らな野原にでた。つい最近、ここの森を切り開いてできたらしく、松の木の丸太がそこそこに積み上げられていた。私たちは野原の隅のプラタナスの大木の下で昼食をとった。プラタナスの脇にはサン=モラン滝に流れ込む沢が直径7、8メートルの池をつくっていた。水草に覆われた池の水は非常に冷たく、きれいに透き通っていた。休憩を頻繁にとったので、駐車場を出てからすでに3時間余り経過していた。
野原からは県道の下を駐車場まで歩いた。距離的には全行程の1/4にあたり、途中、眺望のよい地点でとった小休憩を除けば40分程度で着いた。出発時にはガラガラだった駐車場も100台近くの車で溢れていた。約6時間の行程のマルテル道の半分しかないものの、川あり、森あり、滝あり、野原ありと盛り沢山の楽しいハイクだった。体力的、時間的に余裕のない方には是非お進めしたいルートだ。

2009年8月12日水曜日

真夏の夜のコンサート

昨夜はニースに隣接する、サン・アンドレ・ラ・ロシュ(Saint André de La Roche、人口5000人)という小さな町で開かれたコンサートに行ってきた。妻の友人が演奏するということもあったので出かけた。本来ならば、今頃は妻の好きなギリシャで夏休みを過ごしているはずなのだが、今年は私がまだ失業中で金銭的に余り余裕がないのでニースに残り、二人で毎日、コートダジュールの“観光旅行”をして楽しんでいる。
コンサートは町役場の敷地に作られた仮設ステージで催された。演奏前には町長と県議会議員の挨拶があり、日本の田舎町でよく見かける光景と似通っていて興味深かった。感心するのは、このコンサートは県が全経費を負担し、町民、県民に無料で開放されていることだ。このような催しは県内の過疎地の村や町でも行われて、県民に小さな娯楽を提供している。
昨夜は4人編成のバンド(ピアノ、バス、ドラム、アコーデオン)が演奏し、やや年配の男女の歌手がよく知られたシャンソンを歌った。歌手はこれらの曲を歌い慣れていて、派手な手振りをまじえたり、こぶしをきかせたりして100人足らずの観客を楽しませた。どこか日本の歌謡演奏会と似ていて面白いと思った。照明、音声などは手作りで、演奏、歌声自体もそれほど上質ではないのだが、40、50ユーロ払って見に行く商業ベースのコンサートとは性格が違うので、それはそれで十分楽しめた夜だった。フランス人はこのように、余り金をかけずに楽しく時間を過ごす術にたけている。

2009年7月31日金曜日

ルール、シアン渓谷

ルール村
アルプ=マリティム県は東京都の2倍の面積しかないにもかかわらず、海もあれば3000メートル級の高山もあり、自然景観、動植物の生態系は実に変化に富んでいる。ハイキングに出ると凄まじく褶曲した地層や断層をよく目にする。過去の激しい地殻変動が日本では見られない地形を造ったのではないかと思う。
ニースから車を北に一時間ほど走らせると中部山岳地帯に入る。そこはどちらを向いても山が延々と連なっていて、鳥の鳴き声や風の音しか聞こえないような全くの別世界である。東京から車で直接、丹沢の塔ノ岳に乗りつけるような感じだ。先日、この中部山岳地帯と高山地帯の境目辺りに位置するルール (Roure、海抜1089メートル) という村の近くの自然樹木園へ行ってきた。樹木園は期待に反してやや貧弱だったが、我々は自然の中で十分リラックスすることができた。大学生のアルバイトと思われる若い男女が5、6人、そこで働いていて、見学者の案内をしていた。寝泊まりしながらここで夏を過ごしているのだろう。彼らの説明では谷づたいに地中海から暖かい空気が上って来て、マイクロ気象現象を引き起こすため、真冬でも摂氏マイナス5度以下に冷えこむことはなく、地中海性と高山性の双方の木々が共存しているそうだ。
シアン渓谷
ルールからはベーユ (Beuil、海抜1442メートル) まで行き、そこから南に折れてシアン渓谷を下った。20年以上も前にここを通ったことがあり、当時のことが色々と思い出されて複雑な気持ちだった。シアン渓谷は浅く、ルー渓谷やヴェルドン渓谷 (ヴァール県) のような壮大さは全くないが、洞窟のようにくり抜かれた地形が特徴だ。自動車道路が谷底を走っており、自然破壊と言えなくもないが、多分、生活道路として長年使われていたのを整備したのだろう。錆色をした岩肌が面白く、一風変わった風景だ。渓谷を抜けると、ニースまで高速道路で一時間とかからない。

2009年6月23日火曜日

グレオリエール=シピエール周回ルート

ハイキングルート
グレオリエール (Gréolières、標高830メートル) とシピエール (Cipières、標高750メートル) はニースの北西約50キロに位置する小さい山村で、樫の木の森に埋もれた、なだらかな谷を挟んで対峙している。谷底を流れるルー川 (le Loup) は、ここから数キロ下流でルー渓谷に達する。周回ルートはこの谷 (標高差約500メートル) を上り下りする、所要時間3時間半の短いものである。この日は曇りがちの天気で、夏のハイクキングには最適だった。
私たちは車をグレオリエール村の東端の駐車場に止めた後、偶然にも近くに立っていた道標に従い、狭い村道を下って行った。谷の向こうに目的地のシピエール村がよく見えた。広い農耕地 (パラグライダーの着地点にもなっている) 、古い石造りの教会跡(現在、修復中らしい)の脇を通り過ぎると次第に樫の森の中に入って行った。所々で視界が開けるものの、それ以外は殆ど緑のトンネルの中を歩いた。森は水気をたっぷり含んだ土で敷きつめられていて、どこか日本の丹沢を思わせた。最近は石のごろごろとした山道ばかり歩いていたので、プロヴァンスこんな場所もあったのかと少し驚いた。途中、道ばたの花に群がる数種類の異なる蝶を何度も見かけた。ここは昆虫が多く生息しているようだった。一時間ほどで私たちはルー川に着いた。
この辺りのルー川は幅5メートルほどの小さい川で、水量も多くない。現在の穏やかな姿から、この広大な谷間を形成した太古の激流を想像するのは不可能に近い。川の水は澄んで冷たく、アメンボウやトンボなどが数多く見かけられたが、不思議と魚の影は皆無だった。川縁で私たちは昼食をとり、しばらく休憩した後、シピエール村を目指して再び出発した。
反対側の斜面を上るに連れて、次第に谷の全貌が見えてきた。グレオリエール側の斜面は特になだらかに傾斜しており、その上をほぼ垂直に1400メートル級の褐色の岩山がそびえて立っている。森はまるで熱帯雨林のようにびっしりと広がり、谷はさらに西へさらに奥へと見渡す限り延々と続いている。このスケールの大きさは圧倒的だった。私たちはしばしば足を止めて景観に見入った。
やがて私たちはシピエールに着いたが、特に美しいとも言えない平凡な村だった。若者たちが所在なげにたむろしているのが目についた。強いて言えば、遠くからもはっきりと見えていた4、5階建ての何かの工場のような四角い建物が私有の城であることが分かったことくらいだろうか。私たちは早々に帰路についた。
帰りのルートは行きのルートより川のやや上流側にあり、より急で長く感じられた。車道の近くを通るために民家がそこここに見られるようになり、自然の中を歩く感じがやや薄れた。ルー川には立派な石橋が架かっていた。昔、よく旅行雑誌などで見たことのある形の橋なので妙に感動したりした。この石橋と平行して自動車用の鉄骨の橋も架かっていた。橋の近くに車が数台駐車されていて、川岸でピクニックをしている家族がいた。
グレオリエール側からの眺めは概して面白みがなかった。私たちは道ばたの花を観察したり、鳥のさえずりに耳を傾けながら、ひたすら斜面を登った。軽い脱水症にかかっていたようでやや疲れた。グレオリエールに戻ると、カフェで一休みした後、村内を見物した。シピエール同様、特徴のない平凡な村だった。ここでも村の若者たちが退屈そうにたむろしている姿を見た。
短時間で回れる、易しいルートだった。眺めはシピエール側が格段によかった。機会があれば、この谷に沿って上流のエスクラニョール (Escragnolles) 近辺まで歩いてみたい。

2009年6月11日木曜日

絵葉書写真

今年の冬は雨が多く、3月初旬まで日本の梅雨期のように肌寒く、鬱陶しい日々が続いた。3月、4月にはそれが持ち直し、5月に入ると俄然、初夏の陽気に変わった。今は、毎日のように晴天で日中は30度をこえる。重いカメラバッグを下げて歩き回るには暑すぎる。それに加え、前にも書いたように、ここは日差しが非常に強い。景観に恵まれたコートダジュールだが、太陽光をさんさんと浴びた真昼の風景写真は絵葉書のように平面的で陳腐なものになりがちだ。朝日の柔らかい光りが斜めから差す、立体感のある写真を撮りたいといつも思うのだが、なかなか時間が許さない。機会があれば、観光客で溢れる海岸沿いを離れ、山奥の小さな村で数日間寝泊まりしながら、写真撮影を楽しんでみたい。

2009年6月9日火曜日

ニース近郊の絶景地

エズ村
ニースはこぶし大の石で覆われた海岸とそれに沿って空港まで数キロ続く遊歩道、そしてイタリアを思わせる旧市街(ヴューニース、Vieux Nice、Old Nice ) をのぞけばたいして見るものがない。自然景観の美しさで言えば、隣接するヴィルフランシュ(Villefranche)、さらにその東のエズ(Eze)、そしてニースから車で1時間ほど内陸に入った所にあるルー渓谷(Gorges du Loup) などが特筆に値する。ヴィルフランシュ、エズへはそれぞれ電車、バスで行けるので、日帰りの撮影旅行にちょうどよい。(写真は岩山の上に立つエズの古城。現在は有料の植物園になっている。この山頂からの海の眺めはまさに絶景である。)

2009年6月1日月曜日

プロヴァンスのハイキング

ニースが属するアルプ=マリティーム県は東はイタリア、西はカンヌまで地中海沿いに延び、北は3000メートル級の高山地帯まで広がる。ハイキングトレイル、道標等は県が管理している。県が無料発行している公式ガイドは200近くのハイキングルートを掲載しているが、我々がよく出かけるのは県庁所在地でもあるニースからさほど遠くない海岸沿いの山や中部山岳地域である。
日本もそうだが、この時期になると野山は木々や下草が青々と茂り、野生の花(エニシダ、シストローズ、タイム、カノコソウなど)に満ち溢れて非常に美しい。ただ、場所にもよるが、日本の鬱蒼と茂った土山というより、灌木が点々とする乾燥した岩山の感じだ。

2009年5月30日土曜日

朝のテーブル

今朝は妻がサレヤ市場 (le Cours Saleya) に買い物に出かけたらしい。台所のテーブルの上にはヤギの乳、ヤギの乳のチーズ、バター、クージェット (ズッキーニ)、きいちごが置かれていた。サレヤ市場はニースの観光名所のひとつで、細長い敷地の両側には観光客目当てのカフェやレストランが林立していていつも人で混んでいる。市場が終了すれば、そこに椅子とテーブルが並べられて食事ができるようになる。野菜や花の値段はもうひとつの市場—ニース駅の北に開かれるリベラシオン市場 (le marché de la Libération)—に比べると割高だ。今はクージェットが旬のようだ。季節ごとに変わる市場の様子をカメラで追ってゆくのも面白いかも知れない。

2009年5月29日金曜日

初夏の光

昨日の夕方、妻を職場まで迎えに行く途中に通った薬局の電光掲示板は摂氏26度を示していた。今日も晴天で、昨日よりもさらに暑く感じられる。日向では優に30度を超えているに違いない。もう真夏と言っても過言ではない陽気だ。しかし、まだ5月である。これから先が思い遣られる。20年ほど前に米国のアリゾナ州南部に住んでいたことがある。そこで摂氏40度を超える夏を幾度も経験しているので覚悟はできているが、年のせいか、それでもやはりこの暑さは辛い。特に、ここは日光がアリゾナにも増して強いように思われる。日向を歩いていると、露出した肌が高密度のレーザー光線でジリジリと焼かれるようだ。路面の照り返しに目も眩む。市内の建物は多くがパステルカラーなので太陽光をよく反射する。日中はコントラスが極端で、偏光フィルターなしではすぐに白飛びする。まれに曇り空や雨天になると私は嬉しくなる。